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ストーンコールド・スティーブ・オースチン
"Stone Cold" Steve Austin

プロフィール

身長:188cm
体重:114kg
出身地:テキサス州 ビクトリア
得意技:ストーンコールド・スタナー
獲得王座:WWE王座、インターコンチネンタル王座、世界タッグチーム王座、WCW US王座、WCWタッグ王座
キャリア:1996年キング・オブ・ザ・リング優勝、1997年・1998年・2001年ロイヤルランブル優勝、2009年WWE殿堂入り

他を寄せ付けない絶大な人気に加え、WWE史上屈指の反乱分子として名を馳せたスーパースター、ストーンコールド・スティーブ・オースチンは WWE王者に6度輝き、インターコンチネンタル王者、世界タッグチーム王者、ロイヤルランブル3度優勝、キング・オブ・ザ・リング優勝など、 数々の栄光を収めてきた。さらに、3度のレッスルマニアでWWE王座を獲得する快挙も達成している。
1990年、“ジェントルマン”クリス・アダムスの下でトレーニングを積んだストーンコールド・スティーブ・オースチンは、地元テキサスで プロレス界に足を踏み入れた。テキサスのガラガラヘビはUSWAで1年ほど戦った後でWCWに移籍。WCWに入団すると、 “スタニング”スティーブ・オースチンという名前で、すぐにWCWテレビ王座を手に入れた。由緒あるWCWテレビ王座を2度獲得するが、 オースチンが狙いを定めたのは、このタイトルだけではなかった。WCW在籍時には、リック・フレアーや リッキー“ザ・ドラゴン”スチームボートら名うてのレジェンドが歴任したUS王座にも輝いた。
1996年1月、テッド・デビアスの“ミリオン・ダラー・チャンピオン”でWWE移籍のチャンスをつかんだオースチンは、 “ザ・リングマスター”というリングネームでマット・ハーディ&マット・ジャネッティとデビュー戦をし、その後初めて出場した レッスルマニア7でサビオ・ベガを一蹴。直後、ストーンコールドが誕生した。
1996年6月、テキサスのガラガラヘビはキング・オブ・ザ・リングとなり、かの有名な“3:16”のスピーチを披露。これをきっかけに、 WWEでのオースチン時代、そしてアティテュード時代が始まることになる。このスピーチは全WWEファンの心に刻み込まれた。 そして、この一匹狼は目の前に立ちはだかる敵を蹴散らし、自らの言葉を確固たるものとしていった。
ストーンコールドの名声は多岐にわたるが、最も思い出に残る抗争は、1998年にスタートしたWWEチェアマン、ミスター・マクマホンとの 争いだろう。このライバル関係のおかげで、オースチンはリング外でもWWE CEOに就任するなど、実にユニークな役割を演じてきた。
ミスター・マクマホンに対する反逆の中で記憶に残るのは、オースチンがニューハンプシャーの川にインターコンチネンタル王座ベルトを 放り投げてしまったことだろう。激怒したミスター・マクマホンはオースチンから王座を剥奪して、ザ・ロックに贈与。一連の出来事から 生まれたストーンコールドとミスター・マクマホンの憎しみは、WWE史上最高のライバル関係として歴史に刻まれることになる。 レッスルマニア17直後には一時仲間となってWWEファンを驚かせた2人だが、その後2年にわたり、互いの人生を惨めなものにしようと、 勝利と侮辱の時を繰り返した。
ストーンコールドのキャリアは、怪我との戦いでもあった。最大の怪我は、1997年サマースラムで負った首の骨折だろう。 このビジネスに対する真の情熱と不屈の精神を見せながら、奇跡的にも負傷しながら試合を戦い終えただけではなく、インターコンチネンタル 王座まで奪い取ってみせた。レッスルマニア14以降、この怪我のせいでリングでの戦いは制限されてしまったが、それでもオースチンは スーパースター達やドナルド・トランプら有名人、そしてマクマホン一家にストーンコールド・スタナーを浴びせ続けた。
リング外での活動は、今でも成功の一途をたどっている。2007年にはWWEフィルムから、オースチン初主演映画「The Condemned」が公開された。 だが、舞台がハリウッドになろうが、WWEリングであろうが、ストーンコールドが減らず口でビールを愛するスーパースターであることは 変わりない。世界中何百万人というWWEファンを抱えたオースチンが、このスタイルを変えることは永遠にないだろう。

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