ステータス
| 名前 | モーリス"マッドドッグ"バション |
|---|---|
| 出身地 | カナダ・ケベック州モントリオール |
| 得意技 | パイルドライバー |
| キャリア・ハイライト | AWAヘビー級王座、AWAタッグチーム王座 |
| 師匠 |
バイオグラフィー
スポーツエンターテイメント史上屈指の型破りキャラ、マッドドッグ・バションは40年にわたり対戦相手、レフェリー、ファンを恐怖に追い込み、壮絶な戦士、唯一無二の人物として功績を築いた。
1929年にモントリオールの労働者階級に生まれたモーリス・バションは、幼い頃からグラップラーとして頭抜けた存在だった。人目を惹く才能で数々の国内タイトルを獲得し、1948年に開催されたオリンピックでは7位に入賞した。そこから、バションは自然の流れでプロレス界に足を踏み入れたが、当初は決して簡単な道のりではなかった。モーリスが頭を剃り、ヒゲをたくわえ、"マッドドッグ"と名乗るまで、そのキャリアは花開かなかった。
恐ろしい外見と残忍な態度で、明らかに血の香りに飢えたバションは、オリンピック出場まで果たしたレスリング技術を捨て、ミネソタにあるアメリカン・レスリング・アソシエーション(AWA)で恐ろしい打撃系レスラーとして名を馳せるようになる。バーン・ガニエ、ザ・クラッシャーら地元のレジェンドらと対戦を繰り返し、マッドドッグは1960年代にAWA世界ヘビー級王座を5度獲得し、観客動員記録を何度も塗り替えた。
"ハードコア・レスリング"が生まれる前、バションは他に類を見ない恐ろしく凄惨なレスラーとして君臨した。リング内では決して大きな体格ではなかったが、マッドドッグは対戦相手を完膚無きまでに叩きのめすため、あらゆる手段を使った。カミソリのように鋭く整えた爪で、相手の額をかきむしり、棺桶へと葬り去った。ピットブルのような激しさを持つバションは、あまりに壮絶な戦いをするため、3つの州で戦うことを禁じられたほどだ。それでも、マッドドッグが独自に生み出す騒乱はファンの心をつかんだ。未来の妻、キャシー・ジョーもその一人だった。バションが客席に向かって投げた凶器が彼女にぶつかった時、目と目が合った2人はすぐに恋に落ちたのだった。
1960年の終わりに、マッドドッグは弟のザ・ブッチャーとタッグを組み、その獰猛さを倍増させた。兄弟はAWAタッグチーム部門で圧倒的な力を誇り、1969年にザ・クラッシャー&ザ・ブルーザーを倒してタッグ王座を奪うと、2年以上にわたり王座を防衛し続けた。妹のビビアンもすぐにAWAに入団し、1971年に女子王座を獲得する。
1984年までAWAで独裁を続けたバションは、その後WWE入りを果たし、1986年に34年に及ぶレスリング生活にピリオドを打った。この時、マッドドッグは狂気ゆえに観客の声援を誘う普及のスターに上り詰めていた。
長年にわたりリングで大暴れしたバションは、ネブラスカ州オマハに移り住み、家族と共に静かな余生を送っている。後に、マッドドッグの功績は姪のルナ・バションにより引き継がれ、ブルーザー・ブロディやジョージ"ジ・アニマル"スティールのように荒れ狂ったスタイルを持つ打撃系レスラーとして名を馳せた。バションの影響はエクストリーム・チャンピオンシップ・レスリングの誕生に大きな影響を与え、いろいろな意味でWWEの"アティテュード・エラ"にもインスピレーションを与えた。
このユニークな影響力、長期にわたる活躍、オリジナリティを持つモーリス"マッドドッグ"バションは、WWEホール・オブ・フェイムにふさわしいレジェンドとなった。






