HALL OF FAME

ステータス

名前 ゴージャス・ジョージ
出身地 ネブラスカ州ビュート
得意技
キャリア・ハイライト AWAヘビー級王座、NWAヘビー級王座
師匠

バイオグラフィー

ゴージャス・ジョージは、日本のレスリングビジネスの中心的存在として、多くのファンからリスペクトされ、日本国内では伝説とまで言われている。

スポーツエンターテイメント界におけるゴージャス・ジョージの類い稀なる影響力は、この一言に尽きる。ジョージが姿を現す前のスポーツエンターテイメント界と、姿を現した後のスポーツエンターテイメント界は別物だ。決して同じものではない。

1915年に生まれたジョージ・ワグナーは、大恐慌の最中、ネブラスカ州の貧しい家族で育ち、生活費を稼ぐためにプロレスリング界に足を踏み入れた。キャリアを始めた頃、ワグナーは当時のレスラーのように模範的なグラップラーだった。小さな体格でリング内でできることは限られていたため、成功を手にすることは難しかった。そこで、ジョージは名案を思いついた。

プロレス界によりエンターテイメント性を取り入れようとしたジョージ・ワグナーは、ゴージャス・ジョージという傲慢で髪の毛をブロンドにした悪役に変わり、レースと毛皮を身にまとい、"威風堂々"を奏でながらリングに姿を現した。リングに続く通路にシャネルの香水を振りまく執事を従えたジョージは、アリーナに登場するだけで観客をヒートアップさせた。レフェリーが凶器を持っていないかチェックすると、ジョージは「その薄汚い手を離すんだ!」と叫びさえした。

現在の基準から考えると、この行為は大したことがないように思えるかもしれないが、1940年代に起きたことだ。言うまでもなく、観客は見事に彼のアイディアにはまり、ジョージを嫌いたいがためにチケットを購入した。当時に、第2次世界大戦後の経済成長に伴い、アメリカの一般家庭にテレビが普及し、プロレスは誰もが楽しめる娯楽となった。度を超えた作戦や、"美しき二頭筋""国を挙げての大センセーション"といった自分で名付けたニックネームを持ったゴージャス・ジョージは、すぐに大人気を博するようになる。この頃、貧しい家庭で育った男は、世界屈指の高給アスリートとなっていた。

1950年代も大スターだったジョージは、黄金のカギが懸けられた試合を戦った。1963年、ジョージは 48歳の若さでこの世を去ったが、彼の影響はバディ・ロジャース、"スーパースター"ビリー・グラハム、リック・フレアーら数々のレジェンド達に見て取れる。入場曲を使ったり、ローブをまとったり、自分で自分にニックネームを付けたスーパースターは皆、ジョージ・ワグナーに感謝しなければならない。

モハメド・アリ、ボブ・ディラン、ジェームス・ブラウンら20世紀を彩った人々も、そのキャラクターを築くにあたり、ジョージの影響を大きく受けている。2008年に発売されたジョン・カプヤによるジョージの自伝"Gorgeous George: The Outrageous Bad-Boy Wrestler Who Created American Pop Culture"が、ジョージの影響をつぶさに物語っている。

WWEスペシャルリングサイド2009 2009年に放送予定のPPVが全て視聴可能な最強セット

YOSHI-TATSU公式ブログ

WWE MOBILE TWITTER

WWEコミュニティ・チャンピオン