HALL OF FAME

ステータス

名前 アントニオ猪木
出身地 横浜
得意技 卍固め、延髄斬り
キャリア・ハイライト IWGPヘビー級王座
師匠 力道山、カール・ゴッチ

バイオグラフィー

アントニオ猪木は、日本のレスリングビジネスの中心的存在として、多くのファンからリスペクトされ、日本国内では伝説とまで言われている。

1943年、横浜で生まれた猪木は、その後ブラジルへと移住し、砲丸投げと円盤投げの選手として活躍。そして、その後の人生を劇的に変えた力道山と出会った。当時日本で最も有名だったプロレスラーの力道山は、猪木の身体能力の高さを見抜き、日本プロレスに入団させるために説得し、共に帰国した。

デビュー後頭角を現した猪木は、後に同じく日本レスリング界の2大スターとなる、ジャイアント馬場とのタッグでタイトルを獲得し、1972年には自身が主催する新日本プロレス(NJPW)を設立した。

NJPWは、設立から20年以内にアジアを代表するプロレス団体にまで成長し、藤波辰爾、長州力らを育て上げ、タイガーマスク、ダイナイマイトキッドらを生み出し、ボブ・バックランドやベイダーをスターに押し上げる等、猪木はプロモーターとしても若い時分から才覚を発揮した。当然ながらプロレスラーとしても新日本No.1としてタイトルを保持し、スタン・ハンセン、タイガー・ジェット・シン、そしてハルク・ホーガンとも抗争を繰り広げた。

猪木の名前を世界に広めた試合は、1976年の6月26日に東京で実現した、モハメド・アリ戦だろう。当時では考えられなかったプロボクサー対プロレスラーという異色の対戦は、猪木がグラウンド状態からアリの脚部を蹴り続けるという展開に終始。興業的には失敗したが、それから数十年後に世界を席巻することになる、MMAの礎となったとも言われている。

後に、試合結果以上に、猪木のプロレスへの愛情と尊敬の念が表れた試合として高く評価され、「いつ何時誰とでも戦う」という姿勢から、”燃える闘魂”というニックネームが生まれた。

猪木の闘魂にあやかろうと、日本では格闘家やプロレスラー達が猪木のもとを訪れ、張り手を懇願するという慣習が出来るほど、猪木人気は増大していった。

人気・知名度共にうなぎ上りとなった猪木は、1989年に国会議員に当選し、在任中にはフィデル・カストロやサダム・フセインとも面会している。

またプロレス親善大使としての顔も持つ猪木は、ロシア、中国の大会場でもプロレスの興業を成功させ、1995年には北朝鮮のピョンヤンで、同国初のプロレス、しかもプロレスの大会としては史上最大級の観客を動員し、メインイベントでリック・フレアーとのシングルマッチを行なった。1998年4月4日、東京ドームで行なわれた猪木引退試合には、7万人を超えるファンが来場した。

元IWGPヘビー級王者として収めた数々の偉業を称え、WWEは2010年のホール・オブ・フェイム授賞式に、猪木氏を殿堂入りスーパースターとして迎え入れることを決定している。

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